2023年の夏ドラマのオオトリ、
『何曜日に生まれたの』(テレ朝)が最終回を迎えた。
月曜朝は、前夜の『何曜日に生まれたの』(通称:ナンウマ)をTVerで視聴するのが習慣だった。
高校時代によく見ていた野島伸司さんの脚本ドラマということもあり、20代後半の登場人物たちに自分の青春時代をそれとなく重ねて、毎回、甘くて苦い思いを感じながら見ていた。
登場人物それぞれが、鬱屈した部分とか、隠しておきたい秘密を抱えていて、それが人間だよね。って思わせられる。
生きていれば、清廉潔白なだけではいられないな、と。
主人公のすいちゃんが籠り人(コモリビト)から卒業していくのと対照的に、
お父さんのビジネスパートナーである小説家・公文の陰の部分がクローズアップ。
いつも冷静で機械的だった公文の人間性が少しずつあふれ出してくる。
すいはそんな部分も含めて公文に魅かれているのに、すいを遠ざけようとする公文。
そして、すいは公文に後ろ髪を引かれながらも、現実を見て高校時代の同級生と結ばれるのか。
やきもきしながら、見た。
会社員生活にどっぷり浸かっている感覚からすると、「籠り人」という存在は、何も生み出さない、非効率的な存在と切り捨てることもできる。
ただ、今回の物語を通じて、「籠り人」だったからこそできること、気づけることがあるのだと、気づかされた。
「非効率」と言われるものの中に、人を動かす何かがある。
時間がない、お金がないと理由をつけて切り捨ててきたものの中に「何か」が。
(昨日2023年10月8日付の日経新聞朝刊二面に掲載されていた野中郁次郎氏の「起業の失敗、野生喪失から」とも共通する部分があるように感じた)
実は、本当に助けを求めているのは、一見「普通」といわれる世界にいる私たちかもしれない。
公文はアクの強い、癖のある、偏った人物として描かれているものの、社会的には「ベストセラー作家」として名が通っている存在だが、隠された公文の素顔に気づき、助けたいと願い、行動していくすい。
物語の始まりは、すいを救出する存在として公文が描かれていたはずなのに、気づいたら、逆転していたという構図。
弱かったはずのすいが、強い女性になって行動していく。
そこには、「あの人を助けたい」という想いが根底にある。
最後、すいがアンディキム(公文の小説に出てくるヒーロー)に見えた。