先日、ホリプロ創業者の堀威夫さんの「私の履歴書」(2021年2月日経新聞連載)から、井上ひさしさんの言葉を引用させてもらいましたが、実は、2月28日の最終回には、もう一つ心に刺さった言葉があったのです。
最後の締めの言葉の中の、「人材でなく、人物たれ」という言葉。
いつも青春。
人材でなく、人物たれ。
いい顔をしよう。
そう心に念じて、 みんなのために頑張りました。
自分のためにも頑張れました。
ありがとう。
先月、2月は、自分の中に
「目の前の人を自分と同じ心を持っている人間だと思って接しているか」
という問いがずっと心の中にありました。
効率を求めるあまり、目の前の人を、機械のように「使える」「使えない」という物差しで測っていなかったか…。
正直に告白すると、少し前までは、
職場でも、家庭でも、ヒトに対して、「使えない」という言葉を使っていました。
それは、どうしてか。
改めて考えてみると、
自分が「使えない人」になりたくなかったから。
そういう評価を受けたくなかったから。
自分を鼓舞するため。
そして、「使えない」という言葉を使うことで、その対象の人の評価を自分より下だと評伝するため。。。
自分は他人を貶めるような人間ではない、自分は誰に対しても公平な人間だ、とずっと思ってきたけれど、、、
自分と周りのごく一部人の中だけの共通物差しを以て、自分の立場を守るために他人を悪く言う、低俗な人間だったとも言えるのです。
ジェーン・スーさんのラジオ番組(TBSドラマ「ジェーン・スー生活は踊る」)の中の相談コーナー(2月16日放送)でも、
彼女が欲しいという20代男性のやらかし体験について、
「相手は人間。敬意をもって接している人と同じように扱わないとダメ」というスーさんからの厳しくも愛のあるアドバイスがあって、
それも、心に響きました。
私もだいぶやらかし人生を歩んできたので…。反省しました。
自分が行動していることに満足感があるだけで、周りからはすごく迷惑、みたいな。
イタイ人。ただの子ども。
これって、営業とかでよく出てくる、Iメッセージではなく、Youメッセージで、というのと似ている。
自分が相手の立場だったとして、何と言われたら嬉しいか、嫌か、想像してみる。
書いてみると、そんなの当たり前じゃん、と思うのだけれど、
実際は、そういうことは頭の中からすっぽり抜けて、考えずにどんどん進んでいたりする。
社会人なりたてのときに会社の研修で、
「人材、人財、人罪。あなたはどれになりたいですか」
みたいな質問をされていたけれど…。
この観点に沿って考えると、結構失礼な設問。
心の成長、発達不良、みたいな。
最近、そのエリアの概念に触れて、自分がどれだけ未熟な人間か自覚してきたので、引っかかったのだと思います。
人材でなく、人物たれ。
まずは、自分の在り方、ということかな。