最近、夫の口癖で気になったこと。
我が家は週に一度、生協で買い物をしていて、冷凍庫の食材が空になっているということはないにもかかわらず、
休みの日にお腹が空くと、冷蔵庫や冷凍庫を開けて「何もない」と大きな声でこちらに聞こえるように、でも、間接的に言ってくる。
それが自分にとってすごく嫌で腹立たしいことだと気づいた。
食事の献立を考えるのは、結構脳みそも使うし、自分には結構疲れるタスク。
そして、食材をそれに合わせて買うことも。
献立を作らずに適当に買い物しているこちらにも非があるのかもしれない。
だけど、少なくとも家族が飢えないように準備はしているつもりなのに。。。
文句を言うなら、食べたい献立をリクエストしてほしいし、生協の注文も食べたいものに毎週(気が向いた時だけでなく)ちゃんと丸をつける、さらにネットでの注文まで完了してほしいもの。
ただ、そこで気づいたのが、
冷蔵庫や冷凍庫の中身だけではなく、夫は着るものに対してもそういう考えだということ。
夫専用のウォークインクローゼットの中は稼働率が低い(推定30-40%)。
そして、捨てられない過去の服とちゃんとさようならもしないうちに、新しい服を買って、それも気に入らない、失敗した、といって在庫が増えていくという感じ。
最近は私の断捨離(R)を見て少しは変わってきたと感じる(もう着ないと思った服をリサイクルに持って行ったりしている)ものの、目の前にあるものを無視して、「ない」と考える癖は根本からは変わっていないと感じる。
何が言いたいかというと、「何かある」と思いながら周りを見ることと、「全然ない」と思いながら見ることでは見えるもの、見えてくるものがまったく異なってくるということ。
私も以前は子供が「〇〇のおもちゃがない」と言ってくると、「片付け方が悪いからなくなっちゃったんじゃない」と言ってしまうほど心が狭かった。
いまは「どこかにあるよ(いますぐは見つからないかもしれないけど)」と返せるようになった。
そうすると子供も少し安心するようで、その場の混乱した思考からは少し離れられているように感じる。
そして、後からちゃんとそのおもちゃが出てくることが多い。
「ある」と思えば、脳みそは「ある」と思って探すし、「ない」と思えば、脳みそはもう探すことも考えることもしません。
思考停止に陥って、新しいものを手に入れることが正しいと信じてしまう。
別に、新しいものを手に入れることが悪いとは言わない。
だけど、その前に目の前にあることをもう一度見直してみる。目の前にあるものの中から光る原石を探す。
それでもなければ、今持っているものとリプレイスする。
リプレイスというのは置き換えるということなので、何かを手放す必要があるということです。
人間にも家にも組織にもキャパはある。
器が小さいのに両手がものでふさがっていたら?
やりたいことが満足にできない。フラストレーションが溜まる。イライラが募る。
なんか、良いことなさそう。
もちろん、急成長中で毎年2-3倍で増収増益というフェイズにいる人や組織は別とも言える。
ただ、その人達もその先を考えずにむやみやたらにないものねだりをしていたのでは、いつか同じことになる。
だから、まずは「ある」と考えてみたい。
最後に、夫が冷凍庫をのぞきながら「何もない」というのは、夫が好きなもので手軽に口にできるものがないという意味だということは、注釈として載せておく。
お腹がすいたときというのは、得てして機嫌が悪くなるもの。