私の長年の疑問の一つが、「自分を大切に」という言葉である。
一見、自分の為を思ってくれる親切な言葉のように感じるので、相手も悪気はないのだろうと思って聞いていたけれど、そうでもないのかもしれない、と最近になって思うのである。
「自分を大切に」。
その言葉をかけられると、私の脳みその中では、具体的には自分は何をすればいいの?何が悪かったの?というグルグルとした思考の渦が発生する。
別に、私がダメ男にお金や体を貢いでいたわけでもなければ、
犯罪に手を染めていたわけでもない。
それなのに、どうしてこの人はこういうことを言うのか…。
私の何がこの人にそういう言葉を言わせたのか。
何か自分が気に障ることをしたのか。
そのネガティブな混迷の中で、言い放った相手は、特に説明もしない。
ますます思考が混とんとしてくる。
昨今、ネットの記事などで、
「自分軸で考えよう」
「自分時間を持とう」
という言葉を見かけるけれど、これも、ある意味同種の意味合いを持つ言葉だと思う。
インターネットはマーケティング・ツールの一つであり、読み進めると、その先には何らかの有料の解決策(モノや自己啓発(もどき))へ導かれるようになっている。
(これが「共感マーケティング」というやつか。)
「自分を大切に」と言った人は、
何か自分を誘導しようとしていた場合も考えられるし、
日ごろ何か鬱憤が溜まっていて、上から目線で何か言いたかったのかもしれない。
本当に親切な気持ちで言ってくれた場合もあるかもしれないけれど…(それを感じる心は持っているつもりだけれど。そんなことも気づかない未熟者だった可能性もなくはない)。
いずれにせよ、こんなに他人の一言に振り回されている自分は、他人の目や評価を気にして、他人軸で生きているということなのだろう。
「いい人に思われたい」という願望は、ときにいいように利用される。
自分は周りの言葉や環境から影響を受けやすい人間だと理解して、時には華麗にスルーしていいのだと思う。
「自分を大切に」と、40歳を超えてからはさすがにそういうことを言われる機会はないのだけれど(仕事と子育てで忙しくて人間関係が希薄化したということもあるだろうが…)。
なんとなく思い出したので、考察してみた。
自分が不用意にそういう言葉を若者に投げかけてしまわないようにという自戒も込めて。
ただ、わかりやすく伝えるだけでは思考が育たないのではないかとも思う。
やっぱり自分の思考は混沌としている。