Tae’s NOTE

母&妻&会社員。40年も生きると人生で演じる役割&抱えること・ものが増え、心のモヤモヤも増える。思考を前向きに整理するための My Noteです。

国際女性デーの記事から~マイノリティの「分断統治」と理想のリーダー像

会社員を20年強やってきて、ずっと、心の奥にあったモヤモヤ。

企業社会で、男性はほぼ総合職一本なのに、

女性はなぜ、総合職、一般職、嘱託など細かく区別されているのか。

「男性」はシンプルな一本道を用意されているから同じ方向を向ける。

「女性」は、同じ性別であるにもかかわらず、同じ方向を向けない。

それは、どうしてだろう。

どうしてバラバラにされているんだろう。

 

そんなことをこの数年、ぼんやりと考えてきたのだけれど、その答えを水無田気流さんが日経新聞で連載している「ダイバーシティ進化論」(2021年3月8日付)の中で見つけた。

 

森前東京五輪パラリンピック組織委員会会長の「女性蔑視」発言から辞任に至る騒動を題材に、日本のダイバーシティをめぐる課題について述べられているのだが、

 

権力者が異質な他者を新規メンバーに受け入れるとき「彼ら(この場合女性)は一般的に望ましくない(話が長い)が、あなた(組織委員会の女性理事)はそうではない(権力者の意向を「わきまえて」いる)から認める」というのは、マイノリティーの「分断統治」話法に他ならない。

男性社会に順応し「男性並み」の特別待遇を認められた女性を、かつて南アフリカ共和国で行われたアパルトヘイト(人種隔離)における「名誉白人」になぞらえて「名誉男性」という。森発言は女性一般と一部の「名誉男性」を引き離し、後者のみを容認することで旧来の権力集団の均質体保持を志向するものだ。

 

そう、「分断統治」されていたのだ。

名誉男性」となった女性は、「女性」ではなく、「男性」のカテゴリーで生きていく。

会社はオジサンとオジサン化した女性のモノだと、心の中で悪態をついていたが、その原因は、自分の個人的な問題ではなく、社会全体の構造的な問題だったということだ。

 

この記事が載った3月8日は、国際女性デー。

特集ページも組まれていた。

この中の、エステー社長、鈴木貴子さんのコメントに考えさせれた。

今の日本のリーダー像や経営観は、男性中心社会がつくり上げた無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)によるものだ。例えば、「経営とは競合との闘い」という考え方。ストラテジーロジスティクスなど経営に軍事用語が多いのは、経営層を男性が占めていることと無関係ではないだろう。理想のリーダー像を問えば、織田信長山本五十六、ナポレオンの名が多く挙がる。

これでは、女性はリーダーを目指すモチベーションが上がらない。女性の多くは「仕事で戦いたくない。武将にはなどなれないし、なりたくもない」からだ。

私は女性だが、理想のリーダー像に武将が出てくるのは、実は、全く違和感がなかった。

また、仕事は実績を出してナンボ。成果を目指して、時に空回り、時にエンストしながらも、前を向いて走ってきた。

これは、営業をやっていた20代、経営者の人たちとの接点を、と読み漁った司馬遼太郎の作品の影響もあるだろう。

つまり、自分もオジサン文化の仲間入りをしようと、「名誉男性」を目指していた時期があったわけで。。。

一概に批判ばかりはできないとも思った。

 

ただ、これから子育てが落ち着いて、自分が名誉男性を目指すかと言えば、Noだ。

 

2年前に現職を得て、その後、色々な偶然が重なって、小さいながらもチームを持つ立場になった。

その間、片手分くらいの女性社員と仕事をしてきたが、正直、意識の違いに驚いた。

職務経験はそこそこあるのに、なぜか。

彼女たちの意識が決して低いわけではないが、

・決断は他人に任せる(例え小さなことでも)

・守備範囲を狭く保とうとする(チームとしてもっとやってほしいことがあっても)

・できるとわかっている仕事しかやりたくない

といった傾向を感じた。

 

ある意味、フォロワーシップに長けているともとれるし、いままでの分断統治された社会での処世術なのだろう。

ただ、変わりゆく世の中で、リーダーシップをとる経験もあったほうがいい。

 

自分は女性が思う「理想のリーダー像」には程遠い存在だが、チームの後輩女性が私の失敗をたくさん見ながら学んでくれることがあればよいとも思う。