Tae’s NOTE

母&妻&会社員。40年も生きると人生で演じる役割&抱えること・ものが増え、心のモヤモヤも増える。思考を前向きに整理するための My Noteです。

手段が目的 ~私の中の「堀北雄介」

朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』を読んだ。

心がザワザワした。

沼の底に溜まったものを掻き出された、そんな読後感。

 

リーダーシップをとるのが好き。

何かに熱中しているのが好き。

注目を浴びるのが好き。

輪の中心にいたい。

自分は他の人とは違って特別な何かを成し遂げた存在になりたい。

認められたい。

 

堀北雄介の生きるモチベーションを表すと、こんな感じ。

作中ではだんだんイタイ人になっていく雄介(と私は感じた)。

だけど、こう並べてみると、人間、誰でも持っている欲求なのではないかと思う。

その欲求を正直に表現するかどうかが別なだけで。

 

作中には、「手段」と「目的」があべこべになっている人物が何人も登場する。

本来は目的(=課題の解決など)があって、手段(=行動)があるべきなのに、行動することが目的になっている。

つまり、手段が目的化しているという事例だ。

 

物語の中で、その最たる人物として雄介がいる。

さいころから運動神経がよくて、中学高校では成績もよくて、北大に行って。

だけど、敷かれたレールの先で、何に情熱をぶつけていいかわからなくなって、大学も中退して…。

 

イタイやつ。

頭わりいな。

迷惑なんだよ。

 

そんな風に思われながら、もがいている雄介。

手に変え品を変え、行動を止めない雄介。

 

確かに身近にいたら迷惑な存在かもしれない。

だけど、自分の中にも、こういう部分あるし、そういうふうになる可能性もある。

実感はないけれど、無意識で同じことをやっているかもしれない。

 

だから、心がザワザワした。

 

超える対象、倒すべき対象=敵を作ることで、その敵を倒すことを目的とし、夢中になる。

ゲームの世界ではよくある設定。

現実の理不尽なことに立ち向かうときにも、「ゲーム感覚で」「仮想敵」を作ることもある。

ゲームを攻略する喜び。

 

遊びと現実の境界線。

 

読みながら、私はわからなくなった。

フィクションでありながら、リアルにありそうな怖さ。

気づけば、自分の隣に堕ちそうな、吸い込まれそうな大きな穴がぱっくり開いていそうな。

 

一見、雄介と対照的な存在として描かれている幼馴染、南水智也。

智也にも実は「敵」がいて。

その敵を倒すために、静かに一歩一歩進んできた智也。

 

雄介と智也の何が違うのか。

行動は違えど、実はやっていることは同じなのではないか。

そんな方向で話はエンディングに向かっていく。

 

物語の先の、雄介と智也の関係を想像してみる。

そして、雄介の20年後、中年になった姿を想像してみる。

自信を持って、誇りを持って生きていてほしい。

願わくば、雄介を抱きしめてくれる、雄介が守ってあげたいと思う、そんな人(達)が近くにいてほしい。

どんなヒーローも、孤独の中では生きられないと思うから。

 

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