喜怒哀楽。
喜びと楽しみはほしいけど、怒りや哀しみはいらない。
以前は、そんなふうに考えていた。
先日、日経新聞の土曜版「食の履歴書」に有森裕子さんが出ていた。
冬の雪国で、日曜の昼から中継されるマラソンや駅伝は、私の中学、高校時代の心の癒しであり、憧れであり、希望だった。
有森さんも、私の憧れの選手の一人。
そんな有森さんの記事にあった一言。
その時の怒りが私を変えました。
「その時」というのは、
リクルートに入社後、国体最終予選で1位になりながら、登録ミスで出場がかなわなかったとき。
誰も謝ってくれず、逆に、「実力がないからだ」と言われたという。
その時の怒りをプラスに変えて、
食事を含めたあらゆる努力で「強くなってやる」と自分に言い聞かせたという。
怒りという感情も、自分の受け止め方によって、薬にもなり、毒にもなる。
怒りや哀しみのない人生は、確かに楽だと思う。
だけど、怒りや哀しみをしっかり受け止めた人生は、深く、味わいがあるものになると思うのだ。
出産後に職場復帰したとき。
職場のボーイズ・ネットワークに入れてもらえなかったとき。
若い女性社員に夢中のオジサン社員を見たとき。
なんか無性に怒りが湧いた。
でも、その怒りが、彩りになり、感情になり、ドラマになることも知った。
怒りも哀しみも、肥やしにできる。