2020年3月の最後の日曜日に雪が降った。
私が上京した1995年の最後の日曜日も朝から雪が降っていた。
どうして覚えているかというと、前の週の半ばに単身上京した私の身の回りの品をそろえるために
母が上京してくれた日だったからだ。
夜行バスで早朝にターミナル駅に着いた後、タクシーで私のアパートの最寄りの駅に来てくれた。
雪が降って薄暗い朝、最寄り駅まで迎えに行くと、所在なさげに改札前で待っている母の姿をおぼろげながら覚えている。
当時の母といまの私の年齢はほぼ同じ。
自分の子供たちが地方に行って、夜行バスで現地に向かい、とんぼ返りするような体力がいまの私にあるだろうか。
No thanks…できる限りそれは避けたい。
そう考えると、あのとき来てくれた母のありがたみを身に染みて感じることができる。
25年前の1995年は、1月に阪神淡路大震災が起き、3月、私の状況直前に地下鉄サリン事件が起きたり、
何かと物騒な一年だった。
そんな状況でよく雪国から東京に送り出してくれたな、と思う。
何も考えていなかったのかもしれないし、下には弟妹もいたので、余裕もなかったのかもしれない。
25年後の2020年は、コロナウィルスの惨禍が続いている。
東京での感染者が増えたのを聞いて、週末に母が電話をくれた。
食料を送ってくれるという。
ありがたい話だ。
いまこうして素直に感謝できているのは、自分も母になったからにほかならない。
子供の立場で当たり前に受け取っていたことは、親が水面下でどれだけ必死でもがいてしてくれていたことか、
親になるまで実感することはなかった。
…と、感動的な気持ちで土曜日にドラフトを書いていたのに。
翌朝未明に下の子が胃腸炎で嘔吐。。。
病気はコロナウィルスだけではないということだ。
母として、洗濯と子供の看護に立ち向かうことになったのであった。
数年後、3月に雪が降ったらこのことを思い出すことがあるだろうか?