師走です。2019年も残すところあと3週間余り。
最近ブログはご無沙汰だったのだけど、40代ワーママなりに平凡ながらも幸せな時間を過ごしていました。
(とあっさり書いてますが、平凡な生活を維持するために水面下で働く親がどれだけもがいているかは今後掘り下げて書きたいテーマです)
昨晩はその平凡な日常生活を脅かす事件=下の子が夜中に嘔吐するという事象が発生。
そのため、今日の私は平凡な日常生活を手放し、会社を休んで4歳児を自宅で一日看護することに。。。
幸い、下の子は日中、嘔吐もなく、水分も取れており、いつもの休日よりゴロゴロしているものの、おもちゃで一人で遊んだりしてくれたので、
私もこの数週間ずっと手を付けたかった
・本の整理(古本屋に売るための本選び)
・使ってなかった銀行口座の解約手続き
など地味だけど心と時間に余裕がないとできないタスクに着手することができました。
本は、令和が始まった頃から「もう手元に置いておかなくてもいいかなあ」と思っていた本が数冊あったのだけど、
今回しみじみと本棚を見返してみて、三分の二は手放すことにしました。
なぜなら、いまの自分には必要ないと思えるものだったから。
一例でいうと・・・
「自分を知る本」
「自己肯定感をもてない自分に困っています」
「うまくいったやり方から捨てなさい」
「自分を大切にする生き方」
「自分を休ませる練習」
… このほかにも何冊もありますが、、、
私、どれだけ自己肯定感が低くて疲れてたんだ!
と思うタイトルがずらり。
そして、
ばかみたいに悩んでたな~、私。
という心の声が。
「2010年代半ばは色々悩んで試行錯誤していたわね、あなた」と俯瞰的かつ客観的な視点で過去の自分に向き合えてしまいました。
さらに、どうしてあんなに「自己肯定感」が低かったのか。
と今さら問いかけてみても、意味はないのだけれど。
子育てやリストラ、それにまつわる自分の中の小さなこだわりの数々で細かく細かく自分の首を絞めてたらこんがらがっちゃったんだよね。
自分はこんなにがんばってるのに誰も認めてくれない。
認められるにはどうしたらいいか。
と、評価に対する考え方が妙に他人軸に偏っちゃって。
もともとは自分で答えが出せる人間だったはずなのに、やたらと周りに意見を求めにいったり、他人に合わせようとしたりしていた。
子供ができたことで周りの人ともっとつながらなければという思いもあったのだと思うけど、それもいま考えるとずれたとこ行ってたね。
ただ、そんな試行錯誤を経て、お金も時間もいっぱい使わせてもらったこの3年間があったからこそ、いまの自分がいる。
「第二の思春期」ともいわれる40代初期にどっぷり自分に向き合えたのは本当にラッキーだったと思う。
月に満ち欠けがあるように、寄せては返す波があるように、自然の世界には自分の力だけではどうしようもない事象がたくさんある。
人生にも、波がある。
いままで、人生で試練がやってきたときは自らの行動で打破していかなければと思っていたけれど、
・我慢する(無駄に動いて死なない/体力温存しておく)
・やりすごす(正面から向き合わない/ほかのことにフォーカスする)
・チャンスを待つ(腐らない/希望を持つ)
という新たな指針を明確化できたことは、私にとって、とても価値のあることだった。
(って、ほかの人には当たり前じゃん、ってことも多々あるはずだけど)
なんかとても哲学的(!?)になってしまったけど。。。
人生で迷ったときは立ち戻ってこれそうなアウトプットができてよかった。
ちなみに、ここ数年何冊も読んで心のバイブルになっていた和田裕美さんやちきりんさんの著書もいくつか手放すことにしました。
自分の血や肉になっていることもたくさんあるし、手放したけど必要になったときはそのとき手に入れればいいかな、と。
来年は古典も含め、小説中心の読書にする予定です。