宮部みゆきさんの「小暮写真館」(文庫本、上下巻)を読んだ。
最後の解説で兵庫慎司さんが「その文章を読む行為そのものが幸福」と書いてたけれど、この本を読んでいる間、本当に頭の中が幸せだった。
小説を読むには想像力が必要だ。
映像作品は(当たり外れはあるけど)目の前に正解を出してくれるし、
最近のビジネス本はすごくわかりやすく書かれている。
そういうわかりやすさに慣れきってしまっていたから、
正直、はじめの数十ページはちょっと苦労した。
でも、段々、心に、脳に、この話の世界が染み入ってきて、下巻は読む手が止まらなかった。
第4話にして、主人公の妹が幼くして亡くなった事情がわかるのだけど、
特に小さい子供を持つお母さんには、ほんとにこんなことありそう、って思わせるリアルさで。
その場面は涙無くしては読めず。
不覚にも通勤電車の中でハンカチを取り出して涙を拭う始末。
しかも2日連続。
(話はちょっとずつ続いてるからね)
宮部みゆきさんの小説を手にとって読むのは、20代の頃、「模倣犯」や「理由」を読んで以来。
数年前に日経新聞で連載してた「三島屋変調百物語」の「 迷いの旅籠」を読んだとき、ちょっと作風変わったなと思ったけど、
時代物だからかな、と思ってた。
でも、それだけではなくて、作者の側でも色々と変化があったみたいで。
あとがきを読んで、その気もち、わかる~❗と激しくうなづいてしまった。
時代の空気の共有というのかな。
なんか、同じ事を感じている人がいるんだと、嬉しく思うと同時に、
このままでいいんだっけ?とも。
あとがきには、参考にした本も載ってて。
そうか、着想を形にするには、何らかの手助けがあってもいいんだという気づきもあった。
読み終わって、なんだか淋しい。
でも、鉄路は続いてるから。
走っていればまた出会うこともあるよね。
こんな気持ちにさせてくれる本に。
ありがとう。