今週の朝ドラ「エール」は、裕一の父、三郎さんとの別れがありました。
そういえば、裕一は、福島の実家を家出同然で出てきたのでしたね・・・。
裕一が福島を出ていく前に、駅で待っていた三郎さんが裕一にかけた
「おめえが俺を捨てたって、俺はおめえは捨てねえ」
の言葉も沁みたけど、
自分の死期を悟った三郎さんが裕一に語った
「お前らのおかげでいい人生だった」
の一言には、涙腺崩壊。
子どもたちに「なに泣いてるの」と言われながらも、涙は止められませんでした。
裕一の弟・浩二に対しても、
「俺が死んだら、喪主はお前だ。喜多一の土地も家もお前のものだ」
と、今までの苦労をねぎらう計らい。
この時代だったら、「裕一が長男だから」という理由で家を長男に継がせてもおかしくないと思うけど。
三男なのに実家を継がざるを得なかった三郎さんならではの柔軟性ともいえるのではないでしょうか。
「浩二と話したいから二人にしてくれ」と三郎さんが言ったときの浩二の戸惑いながらもうれしそうな表情や、
三郎さんに「長生きしてくれ」と泣きながら懇願するところなども、涙なしには見れませんでした。。。
ふと、私がいま死んだら、「いい人生だった」と満足して成仏することができるかな?とも考えてみたのですが・・・
「いい人生だった」ともいえるし、「まだやり残したことがある」ともいえる。
死んだら死んだで、自分の死も受け止めるしかないと思いますが(死んだら受け止められるのか?)、
「まだやり残したこと」を具体的にひとつずつやっていくことが、死期を悟った時に「いい人生だった」と振り返ることにつながるのかな、と思いました。
以下、全くの余談。
これを書きながら・・・なんか脳内で壮大なブレストが始まってしまい、
『「まだやり残したこと」を具体的にひとつずつやっていくことが、成仏につながる』というフレーズも浮かんでしまいましたが。
これは、幼少期に一緒に住んでいた祖母の影響かな。
うちの実家は浄土真宗で、祖母が毎朝お経をあげてましたからね・・・。
お寺さんが月に一回お経をあげにきてくれたりもしていたし。
祖母は理不尽にも戦争に巻き込まれた世代だったわけで。
仏様に手を合わせながら、何を考えていたのだろうか。