Tae’s NOTE

母&妻&会社員。40年も生きると人生で演じる役割&抱えること・ものが増え、心のモヤモヤも増える。思考を前向きに整理するための My Noteです。

効率より効果

先週末はポカポカ陽気で桜も咲いて、気持ちよかったです。

夫が誕生日にくれたエステチケットの有効期限が近かったので、

コロナウィルスに怯えながらも近場のホテルのスパまでお散歩がてら一人で出かけ、

背中と頭皮のマッサージしてもらってきました。

 

想像以上に固くなってた体をほぐしてもらい、リフレッシュできたせいか、週末は良い言葉に出会うことが多かった気がします。

 

その中のひとつが、

「効率よりも効果主義で」。

 

臼井由妃さんの「やりたいことを全部やる!メモ術」の序章に出てくる言葉です。

 

この言葉を見つけて、

 

そうそう、私の求めていることはそれ!

 

と心の中で叫んでしまいました。

 

私もワーママになったばかりの頃は、

朝早起きして家事も育児も仕事も全部やる系の本を参考に頑張ってみたけど、身体がついていかず。

体が疲れると効率こなそうとしても、できないことが貯まってイライラ。

 

たとえ効率よく全てをこなせたとしても、ただやっている(もしくはやらされている)だけのときは、

心が死んでる(または殺している)ことが多くて、

ドキドキしたり、ワクワクしたり、悩んだり、苦しんだりということがなかった気がする。

心の中は常に冬の日本海エリアの鉛色の空、みたいな。

 

 

やらないことはやらない。アウトソースできることはする。

 

子どもが手もかかるし目も離せない時期はなかなかそれも難しいし、

そんなときは余裕もなくてなおさら一人で溜め込んでしまっていたけど。

自分がその時期を脱したということなんだと思う。

 

効率よりも効果。

これを念頭においておけば、心身ともに健康に過ごせそう。

コロナ・ショック…危機との向き合い方

前回ブログをアップしたときには、2-3週間我慢すれば収まるのでは、と思っていた新型コロナウィルスの感染拡大。

全然収まることを知らず、世界中で感染者が拡大。

各国で行動自粛を行った結果、とうとう経済、金融マーケットにも影響が。

特にこの一週間の株式市場の下げ幅はすさまじく。。。

2008年のリーマン・ショックのときを思い出しました。

当時、私は外銀のリテール・部門で外貨預金や投信・保険の販売を担当してましたが、

銀行の為替取引画面の為替レートがすさまじい勢いで円高に動き、お客様の円換算の資産が目減りしていくのを青ざめて見ていることしかできず。。。

マーケットの大きな流れの中では無力でした。

(ロンドン市場が開いた1時間くらいでドル円、ユーロ円が10円以上円高になったのを覚えてます。)

 

今回のコロナ・ショックがマーケットに及ぶまで、

世界的に中央銀行の金融緩和(低金利)政策もあって、マーケットは上昇していたわけですが、

グローバル化で人とモノの交流が進んだ世界経済の構造上、一国での問題が世界全体に波及(ウィルスも経済環境も)というのは必然だったのかもしれません。

 

いまの勤務先は金融機関ではないので、直接、マーケットの数字を見ながら仕事をする機会はあまりないのですが、

営業面や財務面での影響はこの数か月から数年後に少なからず出てくると思います。

場合によっては、計画中の事業縮小・撤退、経費削減、人員削減、最悪の場合は倒産…ということもあり得るかもしれない、と連想してしまうのは、

リスク管理という職業柄だと思うのですが。。。

アホな妄想で終わるのか、現実となるのかはわかりません。

ただ、妄想で終わることを強く祈りつつ、最悪なことが発生した場合にどうするかというプランを頭の体操しておくことは無駄にはならないのではないでしょうか。

 

ちなみに、私はリーマン・ショックの後、結婚・出産を挟んでコンプライアンス本部に異動になり、リテール部門の日本撤退、その後証券会社でリスクマネジメントの仕事に携わったことがいまの自分のキャリアにつながっており、

当時は自分が望まないことをやらされている感もありましたし、慣れない本部機能の仕事のやり方にも苦労しました。子育てとの両立も。

ただ、その時の経験があったからこそ、いまの仕事はそういった面の苦労は感じなくなりました。

 

今回の危機も、結果的に、災い転じて福となす、となりますように。

 

まずは日常できること(手洗い等の感染予防)から粛々と。

 

 

 

シュリンクする世界で

新型肺炎ウイルスの影響で、この一ヶ月は世の中全体が自粛ムード。

人が集まるイベントが軒並み中止。

子どもと楽しみにしていた地域のフリマも開催中止になり。

こうなると、気分もちょっと沈み気味に。

 

とはいえ、

テレワークについて会社の担当部署が真剣に検討を始めたり(オリンピックのときに通勤できないかもと思っていたのでラッキー)、

手洗いうがいの意識が高まったり、

公共の場所での咳マナーが身に付いたり。

他にも探せばあるはず。

良いことも、前進することもある。

 

経済も、打撃を受ける業種(旅行、イベント、外食とか?)がある一方で、

儲かる業種(通販、中食、インターネット関連とか?)もある。

 

今回、自分の気付きとしては、

人類は運命共同体

人は一人で生きているわけではない。

お金があっても健康は買えない。

ピンチはチャンス、と思いたい。

 

…こんなところかな。

 

あとは、何だかな…って気分のときに

ワッハッハ!

と言ってみる。

泣いてた我が家の4歳児が笑い出す、鉄板ネタです。

大人一人でやっても、なんか笑えてきます。

(注:人前で初めてやるときはホームグラウンドで試してください。アウェイでやると怪しい人だと思われる可能性あり)

 

シュリンクのあとは、エクスパンションがやってくるはず。

返せ~の正体

今日は仕事で六本木界隈に行きました。

すると、何やら物々しい雰囲気。

街宣車からの叫び声が聞こえる。

何だ~?と思っていたら、聞こえてきたのは、

「返せ~」

の声。

え?何を?と思ったのだけど、

ふと、今朝の日経新聞のコラム「春秋」に今日は北方領土の日と書いてあったことを思いだし。

おそらく、近くのロシア大使館に対する呼び掛けだったのだのではないかという結論に。

 

まだ、100年前の戦争の名残があるという現実。

ママはどうして会社がコロコロ変わるの

上の子に言われてドキッとした一言。

 

ママはどうして会社がコロコロ変わるの?

 

えっ…転職回数が多いことを攻められてるのかしら?私。

 

戸惑う母。

 

だってママ、今日はいつもと違う場所に行くんでしょ。

 

あ、そういうこと。

と胸を撫で下ろす母。

 

いまの会社はオフィスが二拠点あって、

私にとってのサブのオフィスに行くときは、

いつもより10分くらい早く家を出ないと間に合わない。

 

保育園の送りがあるので、下の子に前日から明日は早く家を出るよと

話してる(諭してる?脅してる?)のを聞いていての疑問だったらしい。

下の子の微妙なプレッシャーを感じての発言だったのかも。

上の子は、最近、反抗的な言葉をよく使う。

でも、下の子がぐずったりして私が手を焼いているとヘルプに来てくれたりする。

優しい子なのだ。

 

母もその優しさに助けられてますよ。

いつもありがとう。

 

と、面と向かっては言えないので、ここに記しておきます。

四半世紀(1Q95)~語り継ぎ、語り合う

阪神大震災から25年。

1995年1月17日。

私は被災地から離れた雪国に住む受験生だった。

その半月後、大学受験で上京する。

受験会場で「被災地の方は受験料免除がありますので申し出てください」と係の人が言っていたことを今でも思い出す。

大学受験という人生の一大イベントの最中だったので、リアルタイムで被災報道を見ていた記憶はない。

ただ、日々、死者の数が増えていっていたことだけは覚えている。

死者6434人(日経新聞2020年1月17日付より)。

この数がどんな意味を持つのか、当時の自分には全く考えがなかった。考えもしていなかった。

いまなら、マンモス小学校6校分、とか、100人規模の会社が65社分、とか、例えも思いつくけれど。。。

この少子化、人口減少の時代、マンモス小学生が6校も一気になくなったら…考えるだけで恐ろしい。

 

阪神大震災の9年半後、私は東京で働いていたにもかかわらず、中越地震の発生時に現地で震度6を経験することになった。

新幹線の中で被災したときの揺れと恐怖。

余震におびえながら一晩過ごしたこと。

電気ガス水道といった生活インフラが止まる心細さ。

晩秋の夕暮れ時に真っ暗な住宅街を見ながら、「戦後みたい」と感じた強烈な喪失感。

そんなセンセーショナルな体験も、一日、一週間、ひと月、一年と日を追うごとに記憶の片隅に追いやられる。

自分の人生にとって大きなインパクトを与えた出来事だったはずなのに。

(この後、人生何が起こるかわからないと、初めての転職を試み、その後、様々な理由で職を転々とすることにもなるのだけど。思い返せば、この被災経験は別の意味合いもあったと当時は感じていた)

 

今年の報道でも繰り返し言われていたけれど、阪神大震災から25年が経過して、人間の記憶の風化は避けられない。

それでも、折を見て、若い世代に語り継ぐこと、同世代と語り合うことが必要なんだと思う。

これから来るといわれている南海トラフ地震に備えるためにも。

 

まずは自分が子供や夫と話してみることがスタートかもしれない。

お母さんがまだ学生だったときにこんなことがあってね、と。

幸せな読書の時間〜「小暮写真館」宮部みゆき

宮部みゆきさんの「小暮写真館」(文庫本、上下巻)を読んだ。

最後の解説で兵庫慎司さんが「その文章を読む行為そのものが幸福」と書いてたけれど、この本を読んでいる間、本当に頭の中が幸せだった。

 

小説を読むには想像力が必要だ。

映像作品は(当たり外れはあるけど)目の前に正解を出してくれるし、

最近のビジネス本はすごくわかりやすく書かれている。

そういうわかりやすさに慣れきってしまっていたから、

正直、はじめの数十ページはちょっと苦労した。

でも、段々、心に、脳に、この話の世界が染み入ってきて、下巻は読む手が止まらなかった。

第4話にして、主人公の妹が幼くして亡くなった事情がわかるのだけど、

特に小さい子供を持つお母さんには、ほんとにこんなことありそう、って思わせるリアルさで。

その場面は涙無くしては読めず。

不覚にも通勤電車の中でハンカチを取り出して涙を拭う始末。

しかも2日連続。

(話はちょっとずつ続いてるからね)

 

宮部みゆきさんの小説を手にとって読むのは、20代の頃、「模倣犯」や「理由」を読んで以来。

数年前に日経新聞で連載してた「三島屋変調百物語」の「 迷いの旅籠」を読んだとき、ちょっと作風変わったなと思ったけど、

時代物だからかな、と思ってた。

でも、それだけではなくて、作者の側でも色々と変化があったみたいで。

あとがきを読んで、その気もち、わかる~❗と激しくうなづいてしまった。

時代の空気の共有というのかな。

なんか、同じ事を感じている人がいるんだと、嬉しく思うと同時に、

このままでいいんだっけ?とも。

 

あとがきには、参考にした本も載ってて。

そうか、着想を形にするには、何らかの手助けがあってもいいんだという気づきもあった。

 

読み終わって、なんだか淋しい。

でも、鉄路は続いてるから。

走っていればまた出会うこともあるよね。

こんな気持ちにさせてくれる本に。

 

ありがとう。