先日、次女とディズニー・チャンネルで映画「インサイド・ヘッド」を見た。
初めてではなかったけれど、じっくり向き合ってみるのは初めてで、子どもと一緒に見ることで、新たな感動、気づきがあった。
11歳のライリーの頭の中で「感情」たちがどういうふうに動いでいるか…。
ライリーの頭のなかの司令塔・ヨロコビはカナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリといった感情をコントロールしながら、ライリーの幸せを願って日々頑張っている。
印象に残ったシーン主に2つある。
1つめは、常に「笑顔で前向きに」と頑張っていたヨロコビが、涙を流すシーン。
物語の始め、ヨロコビはカナシミが邪魔とさえ思っているのではないかと感じられる。
だけど、最後にヨロコビはライリーの「特別な思い出」の前後には、カナシミも含まれていたということを知る。
ヨロコビの中の成長というか、変化というか、そういうものを感じた。
物語の最後、カナシミにライリーを任せることができたのも、この変化があったから。
そして、カナシミは、ヨロコビと手を握ってライリーが安心した表情を見せるところも良かった。
人間にとって、どの感情も大切で、どの感情が優れていて、どの感情が劣っているということではないということなんだと認識した。
もう一つは、ライリーの空想の友達、ビンボンとヨロコビが別れるところ。
ディズニーチャンネルでは、(金)の夜と(土)の昼に放送していたので、二回とも次女と二人で見たのだけれど、二回とも二人で号泣。
ティッシュの箱を持ってきて、何回も涙をふくことになった。
(土)の昼は長女も一緒に見ていたので、ビンボンが出てきたときに、長女の小さい時の「空想の友達」の話をしたりした。
そういえば、次女からは「空想の友達」の話を聞いたことはないなあ。
いるのかな?いないのかな?なんてことを考えてみたりした。
カナシミの役割ってなんだろう。
一見、後ろ向きな感情ととらえられがちだけれど、しっかり向き合うことで、
成長、癒し、気づきなどが得られるのではないかと思う。
あとは、「泣く」ことで、悲しみが流されるというか。
子どもが泣いたときは面倒くさがらずに、ちゃんと向き合おう(心の中で「面倒くさい」と思っても、表向きは向き合っているふりをしよう)と思った。
悲しみも怒りも恐れも、みんな大事な感情。
否定せずに受け入れ、向き合っていきたい。
自分に対しても、家族に対しても。
エンディングロールで、ヨロコビの声を竹内結子さんがやっていたことを知る。
ああ、彼女はもういないんだ。
寂しい気持ちになった。