今日は朝から、昨晩録画していた『リコカツ』を見ながら、
子供用のハイチェアをせっせと拭きあげていた。
色は違うけれど、↓このタイプ。
近々、ダイニングのテーブルと椅子の買替えを考えていて、せめて配送料の足しにでもなればと、今回は有料でジモティに出してみる予定だ。
この椅子は、座面の高さが調整できるので、離乳食が始まる頃から、何なら小学生や中学生になっても100キロまでは座れるのだけれど、最近は大人の椅子に座るのが気に入って、次女が全く座らなくなったので、使ってくれる人に安く譲れないかな、と思った次第である。
難点としては、ベルトの接合部分に食べかすが溜まりやすく、掃除を怠ると椅子の座面の裏側まで汚れてしまうこと。
それでも、接合部分は外せるので、そこも外してせっせと拭いていたら、あら不思議。とってもきれいに。
途中で起きてきた次女もそれを見て、「また座る」という始末。
そこでふと思ったこと。
どうして他人に譲ろうと思っているものはせっせと磨いているのに、
自分たちが普段使っているモノはちゃんとお手入れしないのだろう?
やましたひでこさんがよく言っている、自分軸と他人軸、自分をもてなす話を思い出した。
なので、その後は、買い替えたいなと思ってはいるものの、しばらくはお世話になるダイニングチェアを拭きあげた。
もう10年使っていて、ところどころ傷や汚れはあるものの、磨けば光る。
そしたら、このチェアを買ったときのことを思い出して、だんだん名残惜しくなっちゃって。
しばらくはこれでもいいか、という気持ちもムクムクと湧いてきたのだけれど。
いまのオシャレでポップな椅子よりも、
もうちょっと落ち着いた木の椅子がいいなあ。
と感じていることも事実なわけで。
いま使っているモノを大事にする、お手入れすると愛着が復活する。
ケアすることは、いまここに、目の前にあるものを愛すること。
そんなことに気づいた。
ジモティに出す予定だったハイチェアはPending item入りしてしまったけれど…。
使うのならばそれでよいと思う。
使ってないなと思ったらこっそり出そう(すぐに買い手が見つかるとも思えないし)。