先週土曜(2021年1月16日)、日経の夕刊を読んでいて飛び込んできたのが、
中1の娘が絶好調に反抗期のため、私は今、子育てで悩んでいる。
という、脚本家・足立紳さんがいま担当している「プロムナード」のコーナーの冒頭の一言だ。
その後の文章を読みながら激しく賛同。
英語で言うと、Strong agreed!!という感じ。
私は子供に対して「好きなものを見つけて楽しい人生を歩んでほしい」と思っている。
うんうん。私もそう思ってます。
「やりたいこと?別にない。見つけなきゃダメな法律でもあんの?」といってはゲームばかりしている。
ゲームばかりしているのはうちの上の子も一緒!
あと2-3年するとうちの子もそうなるのかなあ…。
妻は私に「黙って見守ってろ」と何度も助言してきたが、
(中略)
頭では理解できるのだが、毎日ゲームをするかユーチューブを見るだけの娘を見るとついつい口を出してしまう。
わかります~!!
私は子供に、誰かの作ったものを受け身で消費するだけの人ではなく、自分で作ったものを提供できる人になってほしいの。
だから口を出してしまうの!!
と、ここまで激しく同感。
しかし、この次の文章で沼にはまる。
基本的には私は子供を信用していないのだ。なぜ信用できないのかというと、私自身が子供の頃、親をはじめ学校の先生など大人たちに嘘ばかりついてきたからだ。勉強すると言ってはしない、塾や部活に行くといってはサボり、テストの点数が悪ければすぐにバレるのに隠した。
…デジャヴ?
私は塾や部活をサボる勇気はなかったけど。
高校時代は勉強するふりをして買い込んだファッション雑誌を端から端まで熟読し、点数の悪いテストは隠した。
高1のときの物理のテストで4点という、いま考えると信じられない点数を取ったことがあり、それは学期末の成績表で親にバレた。
(ちなみに4点だからクラスの最下位かと思ったら、下から2番目の順位。私と同位かそれより下の点数を取ったのが誰か、数か月後にクラスメイトとのふとした会話で知ることになった)
…と、足立紳さんのエッセイを読みながら、自分の半生を振り返ってしまった。
私が子供に一言多いのは、子供達に自分の子ども時代のようになってほしくないからだという気づき。
その根底にあるのは、
自分が子供の頃にもう少し勉強や習い事に対して伴走してくれたり、適切な助言をしてくれる人がいたら、何かの才能が開花したのではないか
という想い。
だから、
やりたいことが見つかったら、ママも全力でサポートするよ!
という気持ちがある。
というよりは、
伴走したり適切な助言をして子供の人生に良い影響を与えられる親になりたいという願望がある。
という表現の方が正しいのかもしれない。
そういう願望がありつつも、実際には、「ママ忙しいから無理」「お金がかかるすぎるのは無理」って子供に言っちゃってるし。
そんな、あなた(達)のために時間もお金もかけられないよ、って言葉を親から聞いていたら、
子供が本当にやりたいと思っていることがあったとしても、実はとっても言い出しづらい状況を作っていたのかも。。。
自分、矛盾だらけだな。
「子どもに一言多い理由」を軽くまとめ上げるはずが、思わぬ落とし穴に入ってしまった。
お前の話にはオチがない、とよく言われます。
今日の話にも、面白いオチはありません。