先にアップしたオチも学びもない「ばあば と バーバ」の話に少し関連するのかな。
本日、2020/6/7(日)の日経新聞、文化面に掲載されていた
西崎憲さんの『小さく軽い笑い』に触れたいと思う。
なぜ恵まれた者は笑いの対象にならないのだろう?
笑われるのはたいてい持たざる者、あるいは何かを欠いた者である。
という問いから始まる文章。
笑いが生じるには基本的に差異や特異点が必要である。
とし、二つの例話を用いて、人間の「錯誤」がもたらす
日常の笑い、ユーモアを称揚したいと思うのはそれが普遍的だからだ。
と説く。
しかしながら、、、文学と笑いについての関係でいうと、
ユーモア小説は出版社によってははっきりと「売れません」と言われる。残念ながら事実のようだ。
…とのこと。
その残念な現実の前でも、西崎さんは以下のように言っている。
けれど文学にとって笑いやユーモアはかぎりなく大切である。
人は弱く、人生は厳しい。小さく軽い笑い、それを私は讃賞したい。その種の笑いはわたしたちの日々を少し明るくしてくれる。そして少しの助けで十分なことも多い。
強烈に賛成!!
大きくて重い笑いは、その名のとおり、重たすぎる。
小さくて軽い笑いがその場を和ませ、場の雰囲気を変える。
実は、「ユーモア」は私のここ数年のテーマの一つでもある。
怒りに任せて子どもを叱ってしまうときなど、ユーモアを交えて面白おかしく子どもを諭すことができたら・・・とずっと思っている。
まだまだユーモアの境地には達していないが、今日の西崎さんの話は、一つのヒントになると思った。
ありがとうございます。